熱田空襲(その1)

「熱田空襲」を体験した方のお話を伺う機会があった。

昭和19年~20年、軍需工場(兵器を製造する工場)を空撃破壊し、また動員されている働き手の命を奪うことによって、日本軍の戦意喪失を図ろうとする米軍により全国各地が空襲に遭った。

熱田も昭和20年6月9日の朝、9時17分空襲がおそった。

軍部の空襲警報発令ミス謎の空襲警報解除があって、ほんの8分という短い間に、千年、船方の軍需工場が空襲に遭い2000名以上の命が奪われた。

この体験を今、語り継いでおかなければ風化してしまうと当時13歳だったという講演者は多くの資料(絵や写真等)を示して、お話してくださった。

頂いた資料から、そのすさまじさや戦火の激しかった昭和20年頃や、戦後の混乱がうかがえる。

私の両親も戦争を体験した。

食べる物が無く栄養が充分じゃない時代に苦労して私たちを育ててくれたことに感謝したい。

でも、そんな話を遠い国の内戦のように感じるのは何故だろう。

今が平和で、私たちが何不自由なく暮らしているからだろうか。

私自身、平和ボケしているからだろうか。

それではいけない。

平和な国を守るんだという気持ちを強く持たなければと改めて思った。

講演者は付け加えて言った。

あの戦争は侵略戦争だ。

靖国には戦死した兵士は祀られているが、空襲で死んだ民間人は祀られていない。
と。

日本が太平洋戦争(日本では大東亜戦争)に突入した原因はいくつも挙げられる。

あの戦争は何のための戦争だったんだろうと言う議論は今でも尽きない。

ABCD包囲網に遭って石油や原材料などを求めたやむを得ない状況だったとか、植民地化されたアジア列国を宗主国から解放するための戦争だった。現に植民地だったアジア諸国は戦後独立できたいう説。

いやアジアを含む大東亜共栄圏を作る野望による侵略戦争に過ぎないという説。

靖国参拝についても議論は尽きない。

難しい問題だ。
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by spremuta-arancia | 2005-11-22 07:00 | 日本史 | Comments(0)

平凡だけど幸せな毎日を過ごすおばさんの日記


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