松山城

河野氏のあとの伊予の国

1602年(慶長7年)、加藤嘉明(賤ヶ岳の七本槍の一人)により築城開始。

加藤嘉明はこの時伊予を「松山」と呼ぶこととした。しかし1627年会津へ転封。

その後、蒲生忠知(蒲生氏郷の孫)の時、城が完成。しかし1634年若くして夭折。嗣子無く断絶。

松平定行(徳川家康の異父弟)に代わった。

松平定行以後、松山藩は松平家の所領となり明治維新を迎える。

築城当時の天守は5層であったが、後に3層に改築されている。

1873年(明治6年)の廃城令による破却に遭わなかった。

昭和に入り放火・空襲による焼失が2回あったが、昭和40年代に復元され現在に至る。

1935年(昭和10年)に国の重要文化財(城郭)に指定。

1952年(昭和27年)には国の史跡に指定。

1923年(大正12年)久松家(明治に入って松平家が姓を返上し旧姓に戻した)より松山市に寄贈し、以後、松山市の所有となっている。

1955年(昭和30年)にはロープウェイが、1968年(昭和43年)には登山リフトがそれぞれ設置され、松山市を代表する観光地の一つとなっている。

2004年(平成16年)10月より天守ほか6棟が改修工事中である。2006年(平成18年)6月終了予定。

私たちが行った時はまだ修理中でした。
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by spremuta-arancia | 2006-06-11 11:56 | 日本史 | Comments(0)

平凡だけど幸せな毎日を過ごすおばさんの日記


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