生駒騒動(3)

収束
幕府は両派の者たちを江戸城に召して審議することにした。
この間に一方の首領の前野助左衛門が病死した。
7月、前野・石崎派と帯刀派は対決し、帯刀は前野・石崎の専横を申し立て、更に彼らが武装して立退いたことを訴えた。

幕府の裁定が決した。
帯刀派に対しては生駒帯刀は主人に対して忠心あるとして出雲国松江にお預け、その他の者も諸大名家へお預けとなった。
前野・石崎派に対しては石崎若狭、前野冶太夫(前野助左衛門の子)ら4人は切腹、彼らの子供のうち男子は死罪、また主だった者たち数人も死罪となった。

結末
同時に幕府は藩主高俊に対しても家中不取締りであるとして城地を没収。
出羽国由利郡矢島(現在の矢島町)へ流罪とし堪忍料として矢島1万石を与えた。

高松市と矢島町が友好都市になっているそうです。
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by spremuta-arancia | 2006-06-12 09:07 | 日本史 | Comments(0)

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