屋島

屋島の歴史

1180年   源頼政が後白河法皇の皇子以仁王を奉じ平氏打倒挙兵。
1183年7月 平氏が安徳天皇を奉じ、屋島に安徳天皇社(安徳宮)を建立。
1184年1月 平氏、摂津国まで進出。
1184年2月 平氏、一の谷の合戦で源氏方に敗れ、再び屋島に退く。
1185年 2月 屋島、檀ノ浦の合戦始まる。源氏方の佐藤継信死去。
         那須与一の扇の的。
         平氏が西へと移動。
         山口県長門 壇ノ浦の合戦で平氏滅亡。

屋島へ行きたかったのですが、ケーブルカーが運行休止していました。

理由は次の通り

屋島ドライブウェイの開通や屋島自体の衰退の影響で利用客が減り続けた。
2004年10月12日に自己破産を申請、同15日に運行休止となった。

屋島東照宮だけは行きました。
四国村へ行きましたが、正直面白くありませんでした。
唯一「わら家」という讃岐うどん屋へ行けたのが収穫かな。

源平合戦の頃は、屋島は四方を海に囲まれた島でした。

陸続きとなった理由として、

・寛永7年(西暦1630年)以降、西島八衛(栗林公園を造った)が当時の讃岐藩主であった生駒高俊の命により新田開拓を行ったこと、浅瀬の埋め立てがされたこと。

・地盤の隆起により海水面が後退。

現在は、正保4年(西暦1647年)以降、当時の讃岐藩主であった松平頼重により造成された、埋立地を割くように流れる相引川(あいびきがわ)が、島であった名残がある。
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by spremuta-arancia | 2006-06-13 11:59 | 旅行 | Comments(0)

平凡だけど幸せな毎日を過ごすおばさんの日記


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