本能寺の変

歴史研究家の講演を聞く機会がありました。

この方は「光秀の乱」と言っていました。

1万2千の兵で100人の護衛しかいない主君を討つのは一種のクーデターなので『変』というより『乱』といったほうがふさわしいからだそうです。

光秀がどうして主君の信長を討ったのか。

「明智家臣団の国人衆による要請があったとする説」

何年か前に論文として発表して優秀だとの評価を得たそうです。

光秀の生まれは美濃であるが、元々足利幕府の将軍の家来であったので活動拠点は畿内であり、彼の家臣は足利幕府の奉公衆が中心である。

この説を証明するために、古文書を読み解いたという歴史研究家の話を興味を持って聞きました。
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by spremuta-arancia | 2007-06-17 07:41 | 日本史 | Comments(0)

平凡だけど幸せな毎日を過ごすおばさんの日記


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