上田

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真田氏は上田市の北端、旧真田町に本拠をもつ一小土豪だったたが、戦国時代末の幸隆のときに、信濃へ進出してきた武田信玄に仕えて頭角を表わした。

幸隆・昌幸の代で、(昌幸の2人の兄、信綱、昌輝は長篠の合戦で戦死)上野国の吾妻郡から沼田にかけて勢力を築いた。

武田、織田両氏の滅亡、上杉、北条、徳川など有力大名に挟まれて、昌幸は勢力を拡大し、上田盆地を<中心とする小県郡一帯を支配。上田城を築城。

上田城の真田氏は二度にわたる徳川軍の大軍の攻撃を退けた。

天守閣もなく石垣も少なく見栄えのする城ではない平城でありながら二度も大軍とのいくさをしのいだ。


真田幸村

昌幸の次男。

上田籠城戦(関が原の戦いの一環)のあと、徳川家康によって、昌幸とともに高野山に流されたが、豊臣秀頼に招かれ、大坂冬・夏の両陣において活躍、討死。

仙石氏

上田城は関が原の合戦直後破却されたが、真田氏のあと上田城主になった仙石氏によって再建。現存する3棟の櫓はこのときのもの。

松平氏

上田城主は1706年仙石氏から松平氏に替わった。三河在住時代からの徳川家の分流の一つ藤井松平家で、明治維新まで続いた。
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真田氏の長男信之は92歳まで生きたそうです。

父は徳川秀忠軍と戦い苦労し、弟は大坂の陣で戦死したのに。

92歳まで。

しかも奥様は48歳で死去している。

なんだかなぁ。

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上田は北国街道で中山道ではない。

何故秀忠軍は上田へ寄ったのか?

中山道に比べて、道の起伏がないからだろうか?

元スピードスケートショートトラックの五輪選手勅使川原郁恵さんの『街道てくてく旅』中仙道篇を見ると。

塩尻から下諏訪、和田峠を越え和田宿まではかなりハードですもんね。

楽な方を選んで、上田で寄り道したのだろうか?

関が原に遅れて、秀忠は父ちゃんの家康に叱られちゃったね。
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by spremuta-arancia | 2007-08-12 09:59 | 旅行 | Comments(0)

平凡だけど幸せな毎日を過ごすおばさんの日記


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