別所温泉(2)
2007年 08月 12日
8/10
この辺りは鎌倉時代に建てられたお寺が多く『信州の鎌倉』って言われるそうです。
旅館街のバス停からシャトルバスが出ています。
チェックアウトのとき、シャトルバスに乗って『信州の鎌倉』まで行きます。
戻って来るまで荷物を預かって下さいとお願いした。
すると旅館の方が
シャトルバスの終点が別所温泉から4つ上田駅寄りの塩田町駅ですので、そのまま上田駅まで別所線にお乗りください。
お荷物は上田駅までお届けしておきますよ。
と言います。
『えっ!そんなことできますのん?』(吉本のウッチー)
サービス行き届いてます。
かくしてシャトルバスに乗車。
暑い!
半日歩けるかな?
アジサイ街道があり、まさに『信州の鎌倉』です。
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龍王院
檀徒さんが随分集まっている。
今日は何ですか?
『せがき』ですよ。
「寄せ書き」?
『施餓鬼』
施餓鬼会(せがきえ)とは
餓鬼(がき)とは、六道の一つ、餓鬼道に落ちて、いつも飢えと渇きに苦しんでいる亡者のことです。餓鬼が口にしようとするものは、炎となってしまうので、何一つ食することができず、飢えの苦しみは限りがありません。こうした餓鬼は、自分の力でその苦しみから抜け出す術はなく、施餓鬼会が、唯一の救いになるとされています。
施餓鬼会の時は、お寺に施餓鬼壇を設け、檀家の人たちが、米、野菜その他の食料を持ち寄り、集まった人全員に食事を出します。また、施餓鬼法要を行い、亡者を供養し、その滅罪追福を祈るものです。
私たちは、食べることにより生命を維持しているのであり、その大切さをよく考え、自分や家族だけではなく、広く他人や、さらには動物にも、布施の心で、食物を与え合おうという考え方でもあります。
この施餓鬼の心が、私たちの生活のなかに生きているのが、食事の際の、「いただきます」「ごちそうさま」という言葉かもしれません。
前山寺
『かけた情は水に流せ受けた恩は石に刻め』
話は又じいのことになってしまうが、じいは全くこの反対だ。
『ワシにかけた情は水に流すが親の恩は忘れるなよ。』
この辺りは鎌倉時代に建てられたお寺が多く『信州の鎌倉』って言われるそうです。
旅館街のバス停からシャトルバスが出ています。
チェックアウトのとき、シャトルバスに乗って『信州の鎌倉』まで行きます。
戻って来るまで荷物を預かって下さいとお願いした。
すると旅館の方が
シャトルバスの終点が別所温泉から4つ上田駅寄りの塩田町駅ですので、そのまま上田駅まで別所線にお乗りください。
お荷物は上田駅までお届けしておきますよ。
と言います。
『えっ!そんなことできますのん?』(吉本のウッチー)
サービス行き届いてます。
かくしてシャトルバスに乗車。
暑い!
半日歩けるかな?
アジサイ街道があり、まさに『信州の鎌倉』です。
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龍王院
檀徒さんが随分集まっている。
今日は何ですか?
『せがき』ですよ。
「寄せ書き」?
『施餓鬼』
施餓鬼会(せがきえ)とは
餓鬼(がき)とは、六道の一つ、餓鬼道に落ちて、いつも飢えと渇きに苦しんでいる亡者のことです。餓鬼が口にしようとするものは、炎となってしまうので、何一つ食することができず、飢えの苦しみは限りがありません。こうした餓鬼は、自分の力でその苦しみから抜け出す術はなく、施餓鬼会が、唯一の救いになるとされています。
施餓鬼会の時は、お寺に施餓鬼壇を設け、檀家の人たちが、米、野菜その他の食料を持ち寄り、集まった人全員に食事を出します。また、施餓鬼法要を行い、亡者を供養し、その滅罪追福を祈るものです。
私たちは、食べることにより生命を維持しているのであり、その大切さをよく考え、自分や家族だけではなく、広く他人や、さらには動物にも、布施の心で、食物を与え合おうという考え方でもあります。
この施餓鬼の心が、私たちの生活のなかに生きているのが、食事の際の、「いただきます」「ごちそうさま」という言葉かもしれません。
前山寺
『かけた情は水に流せ受けた恩は石に刻め』
話は又じいのことになってしまうが、じいは全くこの反対だ。
『ワシにかけた情は水に流すが親の恩は忘れるなよ。』
by spremuta-arancia
| 2007-08-12 13:28
| 旅行
|
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