犬山城

台風が接近して朝から断続的に強い雨が降っていました。

明日にも東京へ帰ってしまうH史。

犬山城行きを決行しました。

城の中に幕末の頃の大名と石高の一覧表があり、H史と夫はしばらくその前で立ち止まったまま、動きませんでした。

国宝犬山城

別名を白帝城といい、三国志の劉備が臨終を迎えたことで有名な白帝城にちなみ、荻生徂徠が命名したと伝えられる。
白帝城が長江沿いにあるように、犬山城も木曽川沿いにあることがその別名の由来である。

天文6年(1537)に信長の叔父織田信康は居城の木ノ下城を廃し、現在の位置に城郭を造営して移った。
現存する天守の2階まではこのころ作られたと考えられている。

天正12年(1584)小牧長久手の戦いの際、豊臣秀吉は大坂から12万余の大軍を率いてこの城に入り、小牧山に陣をしいた徳川家康と戦った。
慶長5年(1600)関ヶ原合戦の頃、城郭が整備された。

元和3年(1617)に成瀬隼人正正成が城主になり、以後徳川時代を通じて成瀬家9代の居城となった。

犬山成瀬氏は身分は尾張藩の徳川家を補佐する重臣という立場であり、独立した大名として見られることは無かった。

このため、第7代当主・成瀬正寿や第8代当主・成瀬正住は尾張藩から独立しようと企てたが、いずれも失敗している。

慶応4年(1868)1月、新政府の維新立藩により、犬山城の成瀬家は正式に犬山藩主となり、尾張徳川氏の尾張藩から独立した。

明治2年(1869)に藩主・9代目成瀬正肥は版籍奉還により犬山藩知事に任じられる。

明治4年(1871)成瀬正肥の時、廃藩置県で廃城となり犬山藩は犬山県となり、その後、尾張藩を母体とする名古屋県に合併された。

名古屋県は愛知県と改名後、額田県(旧三河国と旧尾張国知多郡)を合併。

明治24年(1891)の濃尾地震で天守の一部や櫓・城門などがこわれたため、
明治28年(1895)、犬山城はに城の修復を条件に旧犬山藩主成瀬正肥に無償で譲渡された。

昭和10年(1935)国宝に指定。
4つの国宝の城の中で最も古い城である。

伊勢湾台風でも被害を受け、昭和36年から40年まで解体修理が行われた。

平成16年(2004)3月時点で日本で唯一の個人所有の城であったが、同年4月に財団法人「犬山城白帝文庫」に移管されている。


a0048609_714108.jpg

[PR]
Commented by kurabou at 2007-09-09 19:40 x
去年までIRIBOU氏のギャラリーが犬山の<どんでん館>横にあったのに、残念。
Commented by spremuta-arancia at 2007-09-10 14:15
あぁそれ聞いていましたっけ!お城の階段がとても急でくたびれました。
by spremuta-arancia | 2007-09-09 07:06 | 日本史 | Comments(2)

平凡だけど幸せな毎日を過ごすおばさんの日記


by spremuta-arancia
プロフィールを見る
画像一覧