忠臣蔵

義士の一人

片岡源五右衛門の墓
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ウィキより
寛文7年(1667年)、尾張藩徳川家の家臣である熊井重次郎重次(知行300石御蔵米120石)の長男として名古屋に生まれる。
しかし生母が側室であったため、寛文10年(1670年)に正室の子である熊井藤兵衛次常が生まれると嫡男たる地位を奪われた。
高房は、弟ながら正室の子である次常に対しては「兄上」と呼ばされていたようだ。武士社会の辛いところである。
延宝2年(1674年)に8歳で親戚の赤穂藩士片岡六左衛門(知行100石)に養子に入った。
父熊井重次郎の弟長左衛門の娘が片岡六郎左衛門に嫁いでいたという関係にあったためである。
討ち入り前、閏8月には尾張の父や兄(本当は弟だが)達に連座しないように義絶状を送っている。
戒名は刃勘要剣信士。なお名古屋の乾徳寺にも墓が置かれた。

熊井重次郎重次は、元は浅野の家来で、尾張初代藩主徳川義直に輿入れした春姫に付いて芸州から尾張に来た者です。

命日が元禄16年2月4日(旧暦)新暦ならば3月20日とかで、歴史講演会で話を聞きました。

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by spremuta-arancia | 2008-03-06 16:58 | 日本史 | Comments(0)

平凡だけど幸せな毎日を過ごすおばさんの日記


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