あるblogから

知人のblogのエントリを参考にインターネットで面白いサイトを見つけました。

http://red.ap.teacup.com/syumoku/76.html

名古屋千種区の地名振甫は帰化人で尾張藩侍医の張振甫さんが

上野村に医王堂を立てたところから付いた地名なんですね

最初京都に居住するが、尾張初代藩主義直の知遇を得て、名古屋移住を決意。
藩主の侍医となるよう求められたが固辞し、御用の時だけ名古屋城へ登城したという。
義直の時代は巾下堀(西区堀詰町付近)に居住、二代光友の時代の寛文7年(1667)上野村新田に土地を与えられ宅を構えた。
人々は、この地を振甫山と呼び、現在の振甫町という地名に受け継がれたのである。

張振甫は、 明朝復興のため戦乱で散っていった仲間の鎮魂・供養がしたかったようだ。
当時、幕府の宗教統制の一つ「新地法度」のため新寺の建立は難しかったが、寛文9年(1669)、上野村陽光院(現千種区上野永光院)の控えで荒れ放題になっていた薬師堂を移築するという形にし、光友のバックアップを得て、実質、明風の建築様式で新築をしたのが鉈薬師(なたやくし)である。
医王堂とも呼ばれる。
振甫没後、代々上野村の庄屋の預かりとなったが、明治42年(1909)、田代村村長の依頼を受けた紅葉屋富田重助が買い入れ、現在地の千種区田代町四観音道に移築された。

[PR]
by spremuta-arancia | 2008-07-22 15:20 | 日常 | Comments(0)

平凡だけど幸せな毎日を過ごすおばさんの日記


by spremuta-arancia
プロフィールを見る
画像一覧