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神戸城と桑名城

5月2日(月)

名古屋駅9:01出発

近鉄急行

鈴鹿市駅10:25 から徒歩15分

神戸城

神戸氏4代の神戸具盛が(1532年 - 1555年)に築城し

滝川一益の侵攻に和睦し(滝川一益は大活躍。優秀な武将である)

養子に受け入れた織田信長の3男神戸信孝の手で強固に修築された

関ヶ原の戦い以降は一柳氏が5万石で入り

(1732年)には本多忠統が2万石で入封

以降明治維新まで、本多氏7代が居城として用いた

本丸には野面積みの天守台がある

現在城の中心部は神戸公園となっている

二の丸跡には、三重県立神戸高等学校が建てられている

この日は近くの小学生が遠足

本丸ではグラウンドゴルフのおじさんおばさん

古を思い起こすには難しい雰囲気

12:10桑名駅徒歩30分

桑名城

戦国時代の桑名の土豪伊藤武左衛門の東城

樋口内蔵の西城

矢部右馬允の三崎城の桑名三城と呼ばれる城があった

現在の桑名城は東城があった辺り

(1574年)織田信長がこの地を征し

部将の滝川一益が三城を配下に置いた(ここでも滝川一益ようく働く)

豊臣秀吉の時代になると神戸信孝以後

支配者が目まぐるしく入れ替わった

関ヶ原の戦い後

(1601年)徳川四天王の本多忠勝を桑名10万石に封じた

忠勝は揖斐川沿いに城郭の建造を開始した

城には船着場も整備し4重6階の天守を築いた

また同時に城下町も整備された

2代忠政は播磨姫路藩に移封となり

代わって松平定勝が入城

松平定重の(1701年)には桑名市街地の過半を焼く大火に遭い

この際に天守も焼失し以後再建はされなかった

揖斐川を利用した掘割は

内堀中堀外堀の区別がつき難い

まるで川の中に城があるような

今はそこに城があったなどと

想像もつかない

市民の憩いの広場になっている

おりしもこの日は

金魚祭り

張りぼての金魚のおみこしを担いだ子供たちがわっしょい

途中海蔵寺という宝暦の治水で命を落とした薩摩義士の墓に参り

七里の渡しへ行って

桑名駅へ帰りもうひと頑張り

15:35三岐鉄道紀勢線で一駅先の馬道駅下車

桑名市矢田城

築城年代は定かではない

(1573年~1592年)矢田俊元によって築かれたと云われる

矢田氏は安芸国首藤の山内俊元が伊勢国北畠氏に仕えて功をたて

矢田城を築いて矢田氏を名乗った

(1558年~1570年)頃、滝川一益によって攻められ落城(またも滝川一益)

俊元は自刃

その後矢田城は滝川一益に与えられ

長島一向一揆攻略の為の最前線基地となった

(1574年)一益が長島城へ移る

家臣杉山十左衛門・野呂孫右衛門を置いて守らせた

居城はほぼ同じ頃の城3つ見た

私としては

桑名の殿様の中では

最後の藩主松平定敬が印象強いです
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by spremuta-arancia | 2016-05-03 17:28 | 旅行 | Comments(0)

平凡だけど幸せな毎日を過ごすおばさんの日記


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