松山編
2006年 06月 05日
空港へ着くと早速道後温泉へ向かいました。
「坊ちゃん」の小説で有名な道後温泉本館の前はカメラ付き携帯やデジタルカメラを構える客の群れ。
温泉に浸かって、疲れを癒しました。
翌朝、道後公園(湯築城跡)。
このあたりは12世紀に興った河野氏が400年に亘って治めていたそうです。
豊臣秀吉の四国攻めにより小早川隆景に開城し、終止符が打たれたそうです。
ボランティアのおじさんが色々親切に説明してくれました。
説明を聞くまで河野氏のことを、全然知りませんでした。
道後から松山市街地へ。
松山城の天守閣は現在修理中。
天守閣へ登りましたが、街を見下ろすことは残念ながらできませんでした。
城の麓の歩行町(かちまち)出身の日露戦争の功労者秋山好古(陸軍大将で騎兵の父)、眞之(海軍中将)兄弟の生家が記念館になっていました。
昭和20年、空襲により焼失しましたが、昭和初期に撮影された写真と、兄弟のお子さんの話を基に再現されたそうです。
ボランティアのおじさんの用意した口ひげをつけて、兄弟の像の前で写真撮影しました。
病気を得た正岡子規が転がり込んだ夏目漱石の下宿「愚陀仏庵」でお茶を頂き、道後の正岡子規の記念館。
この街は俳句の街。
至るところに俳句ポストが置いてあります。
私達も愚作を書いて投函してきました。
温泉に浸かって、疲れを癒しました。
翌朝、道後公園(湯築城跡)。
このあたりは12世紀に興った河野氏が400年に亘って治めていたそうです。
豊臣秀吉の四国攻めにより小早川隆景に開城し、終止符が打たれたそうです。
ボランティアのおじさんが色々親切に説明してくれました。
説明を聞くまで河野氏のことを、全然知りませんでした。
道後から松山市街地へ。
松山城の天守閣は現在修理中。
城の麓の歩行町(かちまち)出身の日露戦争の功労者秋山好古(陸軍大将で騎兵の父)、眞之(海軍中将)兄弟の生家が記念館になっていました。
昭和20年、空襲により焼失しましたが、昭和初期に撮影された写真と、兄弟のお子さんの話を基に再現されたそうです。
ボランティアのおじさんの用意した口ひげをつけて、兄弟の像の前で写真撮影しました。
病気を得た正岡子規が転がり込んだ夏目漱石の下宿「愚陀仏庵」でお茶を頂き、道後の正岡子規の記念館。
この街は俳句の街。
至るところに俳句ポストが置いてあります。
私達も愚作を書いて投函してきました。
by spremuta-arancia
| 2006-06-05 17:20
| 旅行
|
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